オホーツク海に光る午前の陽。

今年の2月にロデオを購入してから、暗くて寒い車体の下で何度夢見た光景であったことか。
ここに至るまで、半年間の長い闘いの日々であった。

車体床下の錆と格闘2ヶ月間
オイルまみれになりながら油脂類を20リットル以上交換
リヤフレーム延長、バイクキャリア製作リヤサス強化
発電機車載水タンク300リットル増設

他にも無数の整備作業を実施し、納車後6ヶ月経過にして初めて運行に漕ぎ着けた。
16年落ちのキャンピングカーとの闘いは、覚悟はしていたが熾烈なもので、この半年間の休日と平日勤務後の余暇を全て捧げた。
納車してから2度だけ往復1時間ほどテストと材料買出しを兼ねて運転しただけで、いきなり8日間5泊(フェリー内2泊)の旅となり不安もあったが、休日1000円で東北道を八戸まで北上、なんの問題もなくフェリーターミナルへ到着する。

しかし問題はここからだ。私の緊張はこの時点でピークに達していた。

フェリーの航送料金を節約するため、リヤキャリアに積んであるバイクを降ろして、車内に積み替えなければならない。

リヤキャリアへのバイクの積み下ろしや車内への積載はホームセンターの駐車場で事前に1回練習したが、積み下ろしに1時間、車内への積載は1時間の悪戦苦闘のうえ半分しか入らず失敗と散々の結果だった。
失敗の原因を追究してキャリアの改造やバイクの部品取り外しなどを施工したが、再テストする時間はなくいきなりの本番である。本当にこの狭い車内に狭いドアからバイクを積めるのか。
とりあえずリヤキャリアに積んできたバイクの車内への載せ換えは1時間弱の格闘の結果なんとか勝利を収めた。

しかしまだ難題がある。

車検証の全長は6.18mだがフェリーは全長6m未満で予約してある。

フェリーの乗用車枠は4m、5m、6m未満の三種類で、それ以上は貨物車枠扱いとなり料金体系が異なり1.5倍くらい高くなる。しかも貨物車は2ヶ月前からのインターネット予約ができないので予定を立てづらいし人気の高い2等寝台が予約できないかもしれない。
このため後部スペアタイアとバンパーを切り落として実際の車長を6m未満にしてきたが、フェリー会社のHPには「車検証の全長より積荷等により実際の車体が長い場合は、実際の車長による料金を適用します」とは明記されているが、車検証の全長より実際の車体が短い場合についてはなんの記載もない。だいたいそんなことは普通ありえない。法的には自動車検査事務所で構造変更申請 して車検証の記載を変えなければならない。
一応事前にフェリーターミナルに電話で問い合わせると、若いおねーちゃんが出て、ちょっと後ろの上司?とごにょごにょやった後、大丈夫ですよー、と明るい御回答をいただいてはある。しかし私の職場では事前に電話で問い合わせたことが出向いた先でひっくり返されるなど日常茶飯事である。
事前に用意しておいたロデオのカタログと寸法図、それからこの写真を印刷したものを車検証といっしょに武者振い?で震える手で握り締め、必死の形相でフェリーターミナルの窓口に向かう。

窓口のおにーちゃんに緊張のあまり早口で、実際は6mないんですーお願いしますーと写真と寸法図を交えてご説明する。

おにーちゃんは少々引き気味で、「係員が計測するかもしれませんが、とりあえず6m未満で発券いたします。」と言ってくれた。

よっしゃ!と心の中でガッツポーズを取り、乗船待ちの列に並ぶ。30分後、計測されることもなくあっさり乗船し、極上の湯船に漬かることができた。

6時間かけて八戸まで行ってキャンセル料取られて引き返すという最悪の事態も想定していたので、安堵のあまり即効で熟睡してしまった。

念願の北海道上陸を果たしたものの、天候は曇り時々雨とぱっとしない。

北に行くか、東に行くか、と天気予報を見てみると、今後1週間全ての地域が雨マークで晴れマークは一つもない。俺の人生こんなもの、とすすきのへ直行し、2日間ほど無為に過ごす。3日目にこれではいけない、雨のなかとりあえず北へ進路をとる。枝幸町のはまなす交流ひろばに到着するが雨脚がひどくなるばかり。4日目は1日中本降りの雨が途切れることがなくロデオから一歩も外に出ることなく食っちゃ寝の時間を過ごす。
本降りの雨でもFPRに落ちる雨音はやわらかく、シャワー、トイレ、車載発電機 も快調に動作し、ロデオ室内ひきこもり生活も意外と快適だった。雨で湿度は高いが気温が低く、寝るには快適でこの日は20時間位睡眠した。ロデオ納車以来こんなにゆったりと過ごしたのは初めてだ。この半年間の疲れがこの日に取れた気がする。

そして5日目の朝、念願の御来光とご対面することができた。
海辺にはPキャン適地が多いが、あまり浜に近いと波音がうるさくて眠れないことがある。夜中に荒れだして後悔することもあった。これくらいの距離だと波音が子守唄のように聞こえてベスト。
海を眺めながら優雅な朝食を取った後、早速バイクを出動させる。
こんな素晴らしいスペースが無料なんて、枝幸町は偉い。駐車場のすぐ脇に水道もあるし、ゴミも捨てられる。各区画に電源まであったがさすがに電気は来ていなかった。

いままで道北のベースは美深アイランドかクッチャロ湖キャンプ場を利用していたが、今後はここをベースにしよう。
キャンプ場から10分で全長22kmのケモマナイ林道に突入。白樺林の美しいきれいな林道だった。
北海道の林道では当たり前のように鹿に遭遇する。

当たり前、といってもやはり暗い森の中を一人で走っていてブラインドコーナーの先に突然いたりすると、熊か!と心臓が飛び出るほどビックリする。

年々臆病になっていくようで、若い頃はしなかったが今年はコーナーのたびにホーンを鳴らしながら走っていた。

日常はコンクリートと機械に囲まれて生存の危機を感じることなどないので、稀に嫌な事があったときなど死んじまうかと簡単に考えたりするが、実際に大自然の中でヒグマの気配にビクビクしていると、死にたくない、と心の底から思ってしまう。人間なんてちっぽけな生き物だ、と素直に感じることができる。

林道を抜けホッとすると、これが旅の醍醐味なんだ、と思う。


ケモマナイ林道で準備運動したあと、風烈布林道からメインディッシュの道北スーパー林道へと向かう。

本州ならメインディッシュ級の林道が準備運動なのだから、北海道はスケールが違う。
道北スーパー林道は2年前にスクーターで走破 してから2度目だが、他の林道では決して味わうことのできない感動をくれる道だ。
函岳ではガスに巻かれ展望はなかったが、それでも通常なら数時間の山歩きをしなければ味わえないような風景を垣間見せてくれた。
路面は写真のようによく整備されているところがほとんどだが、オホーツク側に一部急勾配で荒れている区間数百mあり、2年前にスクーターで来た時 は10km/h程のスピードしか出せず雨水の掘削による段差を越える度にショックでエンストしてしまい再始動にセルを連続使用していたらバッテリーが上がり、こんなところで熊に食われたくない、と半べそをかきながら数十mごとに降車してキック始動を繰り返した。
そんな路面もXRなら50km/h以上のスピードで跳ねるように通過していける、快感。
道北スーパー林道を走破し美深に降り、再びピヤシリ越林道から奥幌内本流林道を繋いでオホーツク海へ戻る。16年ぶりのピヤシリ山頂は濃霧に覆われ何も見えなかったが、100km以上林道を走りお腹いっぱいになった。
少し早めにはまなす交流広場に戻り、日没までゆったりと過ごす。

ここに3泊したが、奥のトレーラーは私より前から止まっていたのにこの2日間全く動いておらず人の気配もないばかりか、夜になっても懐中電灯の明かり一つ点くことが無く、不思議に思っていた。
もしかしたら練炭自殺・・・。北の最果てオホーツク海を望む無料キャンプ場で練炭自殺ってはまりすぎで怖くなり、役場に通報したほうがいいかなと本気で考えてしまった。
この日の朝50歳前後の茶髪の女性と犬2匹がやっと室内から現れたときは2度びっくりした。ほっとしたのはしたのだが、トレーラーと全く合わないキャラだったからだ。いったい狭く真っ暗なトレーラーの中で丸2日間も何をやっていたのだろう。今考えてもこの旅で最も不思議なできごとだ。
次の日は富良野経由で苫小牧までロデオで快適なドライブを楽しみ、フェリーターミナルでまた行きと同じようにリヤキャリアのバイクを室内に移し変える。かなりコツを掴んだので30分もかからすに載せ変え終了。

5泊してすっかりなじんだ自分の家にバイクを入れるのは抵抗があったが、これもフェリー会社の6mルールのせいだ、許せ、ロデオ。

行きは川崎近海汽船の八戸ー苫小牧便だが、帰りは新日本海フェリーの苫小牧ー秋田便だ。新日本海フェリーのほうが船内が豪華で設備がよく、値段も2千円ほど安いのだが、行きは夜の便がないため帰りのみの選択。

こちらも事前問い合わせの電話内容がひっくり返されることは無く、係員に全長を計測されたが5.9mでパスし問題なく乗船することができた。

新日本海フェリーではレストランでバイキングを朝昼晩やっており、晩は1800円で高い(アルコール提供があるため)のでコンビニ弁当持込で済ませたが、朝は1000円でかなりの品数が揃っているのでお勧め。船室乗務員のサービスも川崎近海汽船より全然いい。
今回の旅は1週間で1日しかバイクに乗れない、という雨に祟られたさんざんな内容だったが、はまなす交流広場の発見は貴重だった。

雨はいやなものだが、毎日晴れならこんな車はいらない、バイクにテントとシュラフを積んで旅 したほうがずっと楽しい。どんな状況でも臨機応変に楽しむことができるのがキャンピングカーの長所だ。今回の旅はロデオの快適性がいかんなく発揮された旅だった。
   


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