いよいよ決戦の朝を迎えた。

ルサ川から海に出て知床岬を目指す。

天気は無風快晴、海は凪、天気予報は今日が晴、波1m。明日が晴、波1mのち1.5m。決行するなら今日しかない。
相泊を過ぎるといきなり様相が変わり、いよいよ無人地帯へと突入する。

ウトロ側では全くなかったうねりのため思ったより船足が遅い。さすがは太平洋だ。
こんなところを歩いて岬へ到達する人が結構いるらしい。趣向は人それぞれだけれど私は船のほうがいいな。しかし船のほうが安全かといわれればそうでもない。

無風快晴の天気なのに局所的に強烈な突風が吹いているエリアが数カ所あり、油断して突っ込むと非常に危険。潮流と風向きと舵が一致してしまうと簡単に転覆すると思われる。強風エリアは白波が立っているので遠目からでもわかるけれど、エンジン全開なのに一瞬で90度向きが変わってしまうほどの強風でわかっていてもコントロールを失う。サイドフロートに何度か助けられた。

このカヌー ではシートには座らずハルに直接座って足ペダルで船外機をコントロールしているので重心は低いけれど、更に屈んで風をやり過ごさないとバウの向きが全然安定しない。シートに座って船外機を操作したりパドルを漕いだりしていたら間違いなく転覆する。サイドフロート、できればアウトリガーが知床でのオープンデッキカヌーには必須。
1時間半程で夫婦滝に到着。

途中上陸できそうな浜はあまりなく、化石浜に上陸を試みたけれど浜の石が大きく波打ち際では叩きつけられそうな危険を感じたので断念した。ここは比較的安全に上陸できた。



兜岩と雌滝。すばらしいロケーションで休憩に最適。
美しい滝に名残を惜しみながら、更に先を目指す。
夫婦滝から先はあまり難所もなく、1時間程で岬が見えてきた。
岬手前の浜に上陸。

しかしここからではシリエトクの台地の上に登る道が見当たらず、更に岬を回り込んでみることにする。
ここからが恐怖の15分間だった。

目の前は迷路のような岩礁地帯にうねりが打ちつける。沖は大きなうねりの頂上に白波が飛ぶ遠目から見ても相当な強風。どちらも同じくらいイヤだったけれど、事前情報で沖は潮流が速いので暗礁内の水路をいくべし、とあったのを思い出し暗礁地帯へ怖々と乗入れる。

この時は知らなかったけれど、正にこの場所をシーカヤックで沖を廻ろうとして国後島まで流されロシア巡視艇に拿捕された 事件が数日前に起こっていた。私の判断は結果としては正しかったけれど、沖を廻ってしまった彼の気持ちはとてもよくわかる。
海面下にも無数の暗礁があるうえにうねりで常に海面が上下しているので水深が大きく変動する。できるだけ深いところを注意深く探しても何度かスクリューを暗礁に当ててしまう。エンジンを止めパドルで漕いで通過しようとしたけれど潮流が速くて操船しきれずうねりとともに岩礁に叩きつけられそうになりかえって危ない。スクリューのシャーピンが折れたら一巻の終わり。ノーマルのアルミのシャーピンはちょっとスクリューを暗礁に擦っただけですぐに折れてしまうのでステンレスのピンに変えていたため、モロに暗礁に当ってもアクセルを開けていなければ折れる前にエンストするので少し安心。しかしアクセルを閉じすぎると今度は潮流とうねりに逆らえずコントロールを失う。常に状況を判断してアクセルと舵ペダルを小刻みに操作し続ける。
極度の緊張で喉はカラカラ、手足はガチガチになりながら、なんとかアブラコ湾へ上陸を果たす。

この港は沖に伸びる狭い航路以外は岩礁に囲まれているので、小舟での上陸はかなり危険。操船を誤り岩礁に打ちつけられてしまえばうねりと暗礁で自艇の回収は困難。かといって沖に出れば速い潮流と強風で操船不能のまま太平洋を漂流することになる。

この日は午後になるに従い天候が回復し明日いっぱいは晴天が続くことがわかっていたので多少の無茶ができたけれど、上陸中に天候が急変すれば閉じ込められることになる。
急な階段を30段程登ると一面の草原。

灯台まで2本の轍がクッキリと続いているけれど、他には見渡す限り何もない。
熊に狙われたら逃げ場が全くないのでホイッスルを吹きまくり腰のナタ(勝てる見込みは全くないけれどせめて腰を抜かさないため)に手をかけながらビクビク歩く。
この急角度200段程の階段を登ると灯台。

途中で足が動かなくなってしまう人は灯台には登らないほうがいい。
なぜなら、
灯台のまわりには柵など一切なくすべりやすいコンクリート吹き付けの基礎からすぐに3方が30mの絶壁になっている。強風に煽られても2本の足以外に頼るものはない。
利尻山頂での360°展望には負けるけれど、270°水平線展望は素晴らしかった。

よくこんな岩礁地帯を通過してきたなと思ったけれど、帰りも通過しなくてはならないことを思い出した。
知床半島は太平洋に50km程槍のように鋭角に突き出ているのだから、先端では岸から数百m離れればそこは太平洋の外洋と変わりない。本来3mのオープンデッキカヌーで航行できる世界ではないと改めて実感した。

ものすごい高度感。足がすくむ。

岬には1時間ほど滞在し昼食を取って帰路に着いた。他に人影はなく沖に観光船が数隻見えただけ。自然保護のため道以外には立ち入らなかったけれど、観光客を入れたら転落事故が多発しそうだ。
岩礁帯の先に国後島。

今見ても背筋が寒くなるほどヒヤヒヤの通過だった。静水ならなんてことはないけれど、潮流とうねりが激しく流れを読みながら操船しないと岩礁に叩きつけられる。流れの強さや方向は一定でなく岩礁の配置により刻々と変化する。それでも終盤にはだいぶコツを掴んできた。
岩礁帯をほぼ通過して岬からだいぶ廻りこみ、潮流やうねりもほとんど無くなった。助かった、あとは帰るだけだ、と安堵したときに、スクリューが海底を擦った。

スクリューを擦った時にアクセルを開けるか閉じるかは状況により異なる。静水では直ちにエンジン停止してパドルで漕いで暗礁から離れるのが最も安全。潮流が強いところでは岩礁に接近すると急速に吸い寄せられ、パドルに持ち替える間に岩礁に張り付くので、うねりの頂上に乗るタイミングでいちかばちかアクセルを開けて岩礁から離脱することもあった。

もう潮流はなく直ちにエンジン停止すべきだったのに、何故か手が勝手にアクセルを開けてしまった。安堵感から魔が刺した、としかいいようがない。

推進力でスターンが下がり、さらに激しくスクリューが暗礁に当った。そしてエンジン音虚しく推進力を失い停船してしまう。スクリューのシャーピンが折れた。
パドルで岸まで漕いで、シャーピンの交換作業に入る。

ノーマルのアルミのシャーピンならマイナスドライバーを当てて石で叩けばすぐ抜ける。しかし折れにくいよう同寸法のステンレスのピンで代用していたためなかなか抜けない。折れたところが膨らんでシャフトの穴より太くなっていて、アルミなら簡単に変形するけれどステンレスは簡単には変形しない。しばらく叩いていたけれど全く抜ける様子がない。さすがメーカーはきちんと考えてアルミを採用しているのだなぁと呑気なことを考えている場合ではない。パドルで漕いでも、船を捨てて歩いても、最寄りの集落までは丸1日以上かかる。食料もビバーク装備もない。胃がキリキリ痛んでくる。大ピンチ。

船外機を外して陸に揚げてガンガン叩き続ける。マイナスドライバーの柄も砕け散り軸だけを叩き続ける。1時間程ひたすら執念で叩き続けていたら、ついに抜けた。
ステンレスピンのせいでかなりのピンチになってしまったけれど、ノーマルのアルミピンではスクリューを何度も擦った岬付近の暗礁地帯を無事通過することはできなかっただろう。潮流の激しい岩礁地帯のなかでシャーピンが折れて推進力を失えば、たちまち岩礁にうねりとともに叩きつけられ遭難する可能性が高い。

チェーンカッターのような、圧入ピンを抜く工具を持参する必要がある。
ペキンの鼻の先に国後島が見える。

帰りは全くのベタ凪で行きに遭遇した強風やうねりもなく、国後島までも余裕でいけそうな海況だった。
さらば知床岬。

4日間の現地停滞でやっと掴んだ好天のなか、半年間の計画と準備と練習の全てをつぎ込み、それに応えるような困難と報酬を与えてくれた。
こんな素晴らしく手ごたえのある冒険フィールドは、全国を探しても他にはないだろう。

完全燃焼
船の墓場、野付トドワラ

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