ブナの森で眠りにつくためにキャンピングカーを買った。
7年後、ブナの梢の下でロデオは静かに眠りについた。




北海道から九州まで旅を繰り返して到達した場所は自宅から1時間足らず。静かな里山の集落のはずれに人目を避けるように建つ平屋。美しい雑木林に囲まれ中央にシンボルツリーのブナがそびえる。

 昨年末にタイミングベルトを4日間3万円かけて交換してからここと自宅を何往復かしただけ、200kmも走っていない.し機関は絶好調。これから10年10万kmは走ろうと思っていた。直後に競売でこの物件を落札して毎週通うようになり、自然のなかで日々を過ごすことの素晴らしさに気づいた。畑仕事や小屋作り、家屋改修などまるで子供の頃山の中に秘密基地を作って遊んでいた感覚そのままだ。ダンボールとはさみが建材と電動工具に変わっただけ。

 こうなってしまうと旅に出ても基地のことが気になって仕方がない。やりたいことが一杯あって休日1日でも惜しい。思い切ってロデオは一時抹消し、代わりに同じエンジンとシャーシを持つピックアップトラックに乗り換え、建築資材を満載し毎週基地まで通う生活へと一変した。



 23年落ち20万キロ走行のピックアップトラック、いすゞファスターはとても元気のよい走りで、ロデオの素性の良さはこれだったのか、とはっきりわかった。2771ccの4JB1エンジンは暖機時の白煙(煙幕レベル!)が泣き所だけど、直噴ならではの低燃費、極低速からの図太いトルクとレスポンスの良さは、その後排ガス規制対応のため主流となった渦流室式には真似出来ない。

 最高出力なんて比較するだけ無駄、常用回転域でのトルクとレスポンスこそが車の面白さを決める。全くよじれない鉄骨フレームとFRは駆動力を背中一杯に体感することができ、フラットトルクのお蔭で踏んで離すだけのクラッチとコクンコクンと小気味よく決まるミッションケース直結のシフトはMT車のマイナスイメージを払拭、これは楽ちんで楽しいマニュアル車だ!

 軽トラの新車試乗までしたけれど、23年落ちファスターの方が遥かに快適。正月休みにきっちり整備して機関に不安はない。維持費は年3万円ほど余計にかかるけれど燃費は同等だし、基地への道のりが楽しくて仕方がなくなった。

 唯一の悩みは純正部品の供給がそろそろ切れかけていること。ブレーキキャリパーのスライドピンやクラッチの油圧ホースなどがメーカー欠品となっている。それでも最近の電気仕掛けの車には乗りたくない。ジェントルだが面白味がまるでない。10年で壊れるセンサーだらけで修理は専用テスターがないと不可能なのでメーカー独占価格でぼったくられる。税制まで後押しして10年毎の強制買替とはエコが聞いてあきれる悪徳商法。平成初頭に機械としての車は完成型に達してしまった。保管場所には困らないから部品取車を数台確保しておこう。
GWに1坪ほど耕しダイソーで買ったミニトマトとキュウリの種。

トマトは発芽率1割ほどのうえスズメがの幼虫に、キュウリはだいたい発芽したもののウリハムシにほとんどやられ一時は全滅に近い状態だった。それでも毎週害虫を捕殺し雑草を抜いていたら本来の生命力を発揮してくれて2か月ほど朝の食卓を賑わしてくれた。


初年度農園収支報告

収入  ミニトマト   1000円相当
     きゅうり   1000円相当
計           2000円相当

支出
     種       210円
     鍬       980円
     支柱      315円
計           1505円


開墾2時間+30分×4週×4月で10時間かけたとして時給50円


生き物を育てる充実感、自給自足の信頼感、自然の中での運動、土いじりの癒しはプライスレス
もぎたてのキュウリは井戸水で育てたせいかとてもみずみずしい。

もちろん無農薬、肥料は雑木林の腐葉土だけ。

わずか畳2枚分で毎週30分ほどの手間がかかるのだから、無農薬有機農法がとても商売にならないことは実感できたけれど、自分で食するには手間をかけた分だけおいしく感じる。

来年は規模を数倍に広げてより多品種の栽培に挑戦すべく今から土づくりに勤しんでいる。
山を眺めながら沢の音に耳を澄ます。
もうここから動く必要は感じない。
紅葉狩りにわざわざ渋滞することもない。薪を玉切りしているとき、畑を耕しているとき、車を整備しているとき、ふと見上げればそこにある。日常と非日常の融合。梅、桜、ツツジ、紫陽花、etc季節のめまぐるしい移り変わりの全てがここにある。
井戸に石油瞬間湯沸機を接続しロデオの給水口へ、さらに石油温水熱源器を設置して床暖房にした。もともと洗濯機乾燥機食器洗浄機まで備えるロデオでの生活は快適で、もはや自宅で過ごすのとなんら変わりない、むしろコンパクトにまとまっていることで家事ははかどり掃除も簡単で灯油は減らない。

  窓が多いから内と外の感覚があいまいになり息苦しさは感じない。開放的な景観が広大なリビングとなり,、満天の星空が巨大な天蓋になる。隣はすぐ他人の家が当たり前の市街地では、内と外を明確に分けなければ落ち着かないから家を大きく豪華にすることを考えてしまうため、銀行と不動産屋とハウスメーカーに大金を吸い取られてしまった。
本当の豊かさとは何か、ここに来てまた考え方が変わったけれど結論はまだ出ていない。ここでできるだけのことをやった後、またロデオで旅立つ日が来るかもしれない。3年後か10年後になるかわからないけれど。


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